高校1年生の娘が書いた論文が、学内の論文コンクールで優秀賞を受賞しました。
親の欲目を差し引いても、しっかりした良い文章だと思いますので、ここにupします。
「動物」としての「人類」として
私の家では、うさぎを1羽と猫を8匹飼っている。うさぎは小学校で増えすぎたものを引きとってきたのだが、猫たちはいずれも放っておけば今頃は生きていなかったであろう野良猫ばかりである。
私が小学校を卒業するまで住んでいた村では、無責任に餌だけを与え続ける住民のせいで野良猫たちが見る間に増えていった。その結果、住民に迷惑がかかるということで、村中の至る所に猫獲り用の罠が設置された。なんと愚かで罪深いことだろう。増やすだけ増やし、迷惑だからといって殺す。彼らのせいで、どれだけの罪なき命が殺されるために生まれてきたのだろう。役場に勤めていた父によれば、まだ目も開いていない子猫までもが保健所行きになったという。
一年間でどれだけの犬猫が保健所に送られるか、ご存知であろうか。
63万頭である。しかもそのほとんどが里親に引き取られることなく毒殺される。つまり、今、私の家で暮らす猫たちは、あのままあの村に置き去りにしていたら、今、生きている可能性はほとんどなかったのである。
中学生のとき、総合学習の授業で大野町の保健所を訪ねたことがある。そのときも一匹の野良犬が檻に捕らわれていた。保健所の人の話を聞いて、私は衝撃を受けた。町の保健所には設備が備わっていないのでしばらく置いてから大きな施設に移され、そこで殺処分が行われる。しかし町の保健所から処分場に送られるまでに、たったの三日しかないという。もちろん、そんな短期間で里親が見つかるわけもなく・・・おそらくあの犬も助かりはしなかったのだと思う。
日本という国は先進国と呼ばれるが、動物愛護という視点から見ればまだまだ発展途上国だと思う。
2005年に動物愛護法が成立する以前は、一部の悪徳ペット業者がひどい動物虐待を行っていたらしい。たとえば、子犬や子猫が育ちすぎたり下痢をすると売れないために餌や水をやらない。病気で助からない犬猫を安楽死させる薬代を惜しんで首を折って殺すなど・・・。さらに売れ残った子犬や子猫をミキサーにかけて、ほかの犬猫の餌にするなどということをしていたようだ。
現在は法律の改正でペット業者に行政が業務停止命令を出せるようになったり、虐待の罰金上限の引き上げなどによりそこまでひどいものは減ったようだが、完全になくなったとは言い切れない。
さらに、日本ではペットはペットショップで売っているのが普通だが、欧米の動物愛護先進国ではペットは売らない。ペットショップはあっても、そこではペット用品を売ったりトリマーの仕事が主で、ペットは子犬や子猫が生まれた家からもらうのである。ペット自体を売らなくても、それだけで十分、利益は出せるようだ。
これらのことからわかるように、日本はまずペットとしての動物に対する考え方を改めなければならないと思う。
「モノ」として扱うのではなく、たとえ子犬や子猫でも生き物として扱うべきだ。私たちの人権が憲法で保障されているように、犬や猫、その他の動物たちにも幸せに生きる権利があるはずだ。
ペットだけではない。さまざまな実験に使われる小動物、不必要な狩猟により殺される野生動物たち。彼らはいずれも人間の勝手な理由で殺される。人間はいつでも自分勝手だ。小学校やら中学校であれほど「周りの人のことを考えて行動しなさい」と教えられながら、温暖化、自然破壊、それによる生態系の崩壊・・・私たちは常に自分の目先のことしか考えてこなかった。そして、今、そのせいでまさに破滅の危機へと私たちは疾走している。罪なき生き物たちを道連れにして。
人間は優れた生き物だと思う。しかし、高い知能を持ったからといって生物の代表になったわけではない。人も動物も虫も木も草も、例外なく平等である。人も動物も木も草も、みな同じ高さに立っている。人間の知能をもってすれば、その程度を理解するなどたやすいはずである。それひとつを理解するだけで、動物虐待のみならず様々な環境問題を解決することすら可能かもしれない。今の私たちに必要なのは、「人間」としてではなく「動物」として自らを振り返ることではないだろうか。
小学校まで育ったあの村では、また野良猫が増え始めているらしい。そしてまた罪のない命が奪われていくのだろう。
私の拙い文章でも少しでも心を動かしてくれる人がいれば幸いである。たとえ一人でも変わることが、未来を変える力になるのだから。
・・・地球(私たち)の明るい未来を、そして人類(私たち)のせいで命を奪われた動物たちの冥福を祈る。
写真:我が家のうさぎ「アルネ君」と子猫のころの「くしちゃん」