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2010年06月23日

●中央アルプス千畳敷、氷雪の一夜③

 時刻、19時。宵の口だが、することもない。皆、寝る。
 ややウトウトした、と思ったとき。じーさんが、がばと起き上がった。
「ど、どうした?」
 訊ねると、真剣な顔をして、
「まっちゃん、しょんべん、行こう!」
 そう言う。
「しょんべんぐらい、一人で行けよ」
「でも外は真っ暗だし風はビュービューだし、こわいんだもん」
 あー、仕方ねーなーとばかりに私も起き上がる。ぐちょぐちょのキャラバンシューズを履いて、じーさんと二人、霧と強風の中へ出て行く。
 山荘のドアを開け中へ入ると、すさまじい風の音がぴたりと止んだ。排尿を済ませ、一憩する。闇の中で、じーさんのくゆらすタバコの火だけが暖かく明るい。
 テントに戻るが、風が一層強くなり雨も降り始めたらしく、吹き降りの音で眠れない。吹きすさぶ風と雨の音を聞きながら、長い夜になりそうだと思った時であった。
 バフバフ!という異様な音が間近に聞こえた。かと思うと、テントの窓から雨がシャワーの如く吹きこんできたのである。
 さすがに寝こけていたメンバー全員が飛び起きた。窓に近い場所に寝ていたメンバーの顔はびしょ濡れになっている。
「今の音、フライシートが飛んだ音じゃないか?」
 akapiが叫んだ。
 しばらくテントの外をうかがっていた山吉が、やがて沈鬱な声で答えた。
「どうやらそうらしい。まずいことになった」
 あとは予想された結末であった。
 あちこちから吹きこむ雨のためにテントの内部に水が溜まり始める。水位は次第に上昇し、私たちの体と荷物をぐっしょりと濡らしてゆく。
 それでもなお、しつこく寝ていた私たちも、さすがに身体の下半分が水没するに及んで起き上がらざるをえなくなった。そのまま寝ていれば、生命の危険を招くことは明らかだった。シュラフが半分以上、水没している。遠からず水位は顔より高くなって、あろうことか3000mの山の上で私たちは全員、水死するに違いない。
「もうこりゃいかん!撤収だ!」
 山吉の号令が下った。
 気温0度、相変わらずの風雨と霧の中でテントを畳む。体の芯まで、いや、心の奥まで凍えて水浸しで、誰もが話をする元気もない。
 いつしか薄明が迫り、あたりはぼんやりと明るくなっている。とはいえ、爽やかであるべき初夏の黎明にはほど遠い。空も地面も気分も、何もかもが鈍色に澱んだ陰鬱極まりない朝である。
 白いはずの雪さえも灰色に染め上げる風雨と霧の中、どこまでも重苦しい気分で下山する。寒さと睡眠不足で足がよろけ尻餅をついたメンバーを、容赦なく烈風と氷雨が包みこむ。
 それでも、あくまで私たちは生真面目だった。こんな状況下でも仕事だけはこなさなくてはという使命感から、いくつかのポイントでロケをし、メモを取り、カメラに収まった。陰鬱な心中とはうらはらに、『天文登山って、こんなに楽しいんですヨー!』的な笑顔を作って。
 演技派の私たちである。その後、刊行された雑誌の記事を飾る私たちの写真は、どれを見ても楽しげで明るい。いや、やはりカメラマンであるイエティ氏の腕が良かったと言うべきか。

 例に漏れず悲惨な旅ではあったが、それでも帰りの列車内でメンバーの表情は明るかった。星は見られなかったものの、過ぎてしまえば楽しく得難い経験である。
「次に来るときには、絶対に満天の星を見ようぜ」
 懲りもせずリベンジを誓い合う私たちであった。
 とはいえ、さすがに皆、疲労の極みである。
 往路では180円也を拾得したIgawa氏も、金銭を発見する目の感度が極度に低下したようで、1円玉のひとつも見つけることはかなわなかった。(おわり)


☆いかがでしたでしょうか。
私の星見行は、大抵がこのように悲惨極まりないものです。
これからも折に触れて、こうした涙と笑いの観測記を公開してゆくつもりですので、ご笑覧いただければ幸いです。
ただ、こうした星見行を通じて、観測技術のみならず人生についてさまざまなことを学び、一生の友を得ることができたのは、すばらしいことだったと思っています。

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