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2009年05月12日

●詩「湿原」

そのせせらぎを手のひらにすくい
僕を見上げたあなたは
ふと
染みとおる微笑を浮かべる
白いスカート
無造作に束ねた髪に揺れる
うす緑の木漏れ日

すくった水を一口含んで
あなたの姿は
一叢の柳に変わっている
古い木道を辿り
足元を流れる水の音を聴きながら
この渓流までずっといっしょに歩いてきたのに

そういえば
あなたのうなじはひどく儚げで
柔らかな前髪からは
いつも水の匂いがしていたっけ
だから
あなたが柳に変わっても
何も驚くことなんてなかったよ
ただ
柳の葉をほんの一枚ポケットに入れただけで
バス停まで木道を歩き
誰も客がいない最終のバスに乗ったんだ

バスの窓から振り返る湿原は
どこまでも透き通る6月の夕映えで
永遠に暮れることなどないかのように遠くまで見通せる

「姿や声なんて時間や空間と同じぐらい意味がないんだよ。
わかってると思うけどさ」
身じろぎもせずハンドルを握る運転手の言葉に僕はうなずき
いつか
そんな運転手の後ろ姿さえも
終わらない黄昏に溶けてゆくのを見つめながら
それでも
あえかな愛惜を噛み締めたくて
バスの揺れに目を閉じる


☆「またヘンテコな詩だよ」と思われた方もいるかもしれません。
しかも星にはぜんぜん関係ないし・・・。

初夏になると湿原に行きたくなります。どこを見てもきれいな水が流れ、草木がみずみずしい若葉を広げているのを見ると、心が浄化されるような気がします。
この詩を作ったのは福井県敦賀市にある湿原でした。誰もいない湿原に佇み、ただぼんやりと日が暮れていくのを見ていました。
初夏の夕暮れはいつまでも明るく、永遠に夜が来ないような錯覚にとらわれながら、手帳にこの詩を綴っていました。

ときどき載せている詩、明確な解釈は書いている本人もわかりませんので深く考えないで下さいね。
心象風景を言葉にしているのですが、私が思い描く心象風景は大抵、このような曖昧模糊としたものです。国語の教科書にあるような立派な詩は・・・どうも書く才能がないようです・・・。

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コメント

こんにちは。
いつも大変お世話になります。
読んでいると、自然にその物語りの中に溶け込んでいく不思議なお話です。
前のCOSMOSはとても、かな〜り溶け込んでました。でも多分これはホーキングN博士を想像しましたから...!

C-14黒カセのH

こちらこそお世話になっております。
そう、私が書くのは厳密に言えば詩ではなくて「お話」なのでしょうね。実際に、これまでに書いた詩を基にした小説もいくつかあります。
教科書に出てくる詩のように素直に心情を吐露することが恥ずかしいから、ヘンテコなお話を書くのかもしれません。
ホーキングN博士は、けっこう私の詩世界をわかってくれておりました。N博士と、また宇宙のロマンについて語りたいなあ。

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