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2009年03月11日

●随筆「星のふる里に生かされて」

先日、岐阜県文芸祭で、ふたつの賞を受賞したことを書きました。
今回ご紹介するのは、そのうち「飛騨・美濃じまん部門」で奨励賞をいただいた随筆です。
東京から岐阜県に移住後、十数年住んだ旧藤橋村の星空を自慢する内容です。

 ☆ ☆ ☆

『藤橋村、全国3位の美しい星空』
 手元にある新聞記事の見出しだ。平成5年の記事だから、もう15年も前のことになる。
 新聞記事は、環境庁(当時)が、星がどの程度見えるかによって大気の透明度を計測する「全国星空継続観察」という調査を行なった結果を伝えたものだ。村職員としてこの調査に取り組んだ私としては嬉しくないはずがなかった。私の観測結果によって、旧藤橋村が全国で三番目に星の美しい所として認められたわけなのだから。

 調査の前年、家族とともに東京から旧藤橋村へ移住してきた。村営の天文台で仕事をするため、東京で勤めていた会社を辞め、清水の舞台から飛び降りる気持で移り住んだのである。調査に参加したのは移住して半年後、まだ期待と不安が交錯している時期だったから、なおのことその結果が嬉しかった。

 それ以来、私は精力的に天文台の仕事に取り組んだ。旧藤橋村は、星空の美しい場所として全国的に知られるようになった。星空を求めて天文台を訪れる人に星空を案内し、そうしたお客さんがいない晩には、自分の観測テーマに没頭した。
 調査が示したとおり、旧藤橋村の星空は掛け値なしに美しかった。彗星の木星衝突、2年続けての大彗星出現、雨のように降った「しし座流星群」と、大きな天文現象が連続したのも、ますます私が村の星空に惹きつけられる結果となった。一世紀に一度起こるか起こらないかの現象が、いずれも私の移住を待っていたかのように立て続けに起こったのである。

 いつか私は、会う人誰もに、村の夜空の美しさを語るようになっていた。
「ぜひ村へ来て下さい。都会では絶対に見ることのできない星空が出迎えてくれるはずですから」
 村の職員という仕事上からではない。自分が住み、勤めている村の星空が本当に誇らしかったからこそ、ごく自然に『自慢』が口をついて出てしまうのである。

 旧藤橋村は、揖斐川最上流部に位置している。山に遮られて星を見る支障となる街あかりは一切見えない。
 春、雪解けを待ちわびるように、しし座が東の稜線に顔を覗かせる。水蒸気が多く幾分潤んだ大気の下で仰ぐ春の星座は、しっとりとした情感を漂わす。
 夏、天頂から南の山稜にかけて流れる天の川の豪快さはすばらしい。南天低くには、さそり座のアンタレスが夏らしい真っ赤な輝きを放っている。
 あれほど溢れていたキャンプや行楽の人が嘘のようにいなくなる秋、星空も静けさを取り戻す。ペガスス、アンドロメダといったギリシャ神話を彩る星座たちが穏やかな輝きで夜空を彩る。
 冬は雪の季節だ。ときに2メートルを越える積雪を見ることもある。が、雪の止み間、たまさかに晴れた晩に見上げる星空は豪華という表現を通り越して戦慄を覚えるほどである。オリオン座をはじめ明るい星が多い冬の星座たちがぎっしりと凍てついた夜空を埋めている。

 そんな四季の星空を見上げていつのまにか15年が過ぎた。星空は変わらないが、藤橋村は町村合併で揖斐川町となり、私も家庭の事情から藤橋の地を離れることになった。
 それでも、星を見るときには藤橋まで車を走らせる。会う人みんなに藤橋の夜空の美しさを語ることも続けている。
 東京で生まれ育った私だが、揖斐川上流の「星のふる里」は、いつしか第二の故郷となってしまったようだ。
 今は異動で天文台を離れているが、機会があればまた星空の下で仕事ができればと思っている。そして、揖斐川上流に広がる満天の星空を、もっともっと自慢したいと思うのだ。

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