●随筆「この秋に」
秋である。いや、もう晩秋といっても良いだろう。
忙しさにかまけて、このところ星を見る機会も減ってはいるが、それでも会社の帰路など、枯れた梢ごしに、オリオン座やプレアデス星団がすっかり高くなっているのを見ると、知らぬ間に身辺から遠のいていた季節感が、ひととき、鮮やかに甦るのを感じる。
自宅の庭先で、かさこそと枯れ葉の落ちる音を聴きながら、東天高く昇ったプレアデス星団に望遠鏡を向け、季節の移ろいを全身で感じ取っていた幼い頃。星空も自然も、今よりはるかに身近な存在だった。
あの頃、いつも感じていたある種の透明な感覚は、今も決して鈍磨しているわけではない。にもかかわらず、そうした感覚からすっかり遠のいてしまったような気がしてならないのは、私の内面にいつのまにか降り積もった微細な粒子に似た何かが、感性の窓を知らず知らずのうちに覆い隠してしまっているからだろう。
人間は環境に適応しやすい動物である。置かれた環境が自らの価値観にそぐわないものであるとしても、いつのまにかその環境に慣れ、順応してゆく。
心ある人は、与えられた環境と自己の価値観のわずかなギャップに気づき、抵抗を試みる。だがそうした抵抗が成功することは少ない。多くの人は、自らの内面に日常という粒子を分厚く積もらせて、いつしかその中に埋もれてゆく。
そうなってはならないと思う。
年齢を重ねるにつれ、分厚く降り積もった粒子に内面の輝きが埋もれてしまうことは避けえないとしても、少しでも抵抗を試み、感性を磨いてゆかねばと思う。
11月、星空は一足早く冬の装いである。凍てついた夜空に瞬く星ぼしは凛烈とした輝きを放ち、心の表面に降り積もった日常を吹き飛ばしてくれるかのようだ。
少し夜が更ければ、街中でも驚くほど美しい星空を見ることのできるこんな季節、透徹した夜空を見上げ、ひととき、自らの価値観との対話を試みるのも良いのではないか。
初出:東大和天文同好会会誌「ほしぞら」NO.93(1986年11月号)
*かなり以前、天文同好会の会誌に寄稿した文章です。
年をとるということは、まさに日常という粒子の中に身も心も埋没してゆくことなのだと、この文章を書いてから20年余を経た今、しみじみと思います。
この年齢まで自分は価値観に従って生きることができただろうか、少しでも何かを成し、生きてきた証を残すことができただろうか、いつもそう考えています。
所詮、人の一生など短く儚いもの、ことさらに何かを成そうなどと考えず、日常を大事にして穏やかに平凡に生きることができればそれで良いのかもしれません。
でも、生まれてきた以上は、たとえ自己満足だとしても少しでも人と違う何かを成し遂げたい、そう思います。
