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2008年09月18日

●詩「秋の想い」

9月
月明りの枕辺に
ゆうれいが一体
僕の寝顔を見つめて立っている

遠く静かなその面差し
言葉にならない想いが
ゆうれいの体をすり抜けて流れ去る

燐光が淡くまつろい
その青さは
月明りのためばかりではないらしい

夜風がカーテンをほのかに揺らし
細くたおやかな首すじに
虫の声が溶け続け

月は白く
下弦
冴えた秋の印象で

(1985年9月5日作。詩集「僕といるかのいる海辺」より)


*両親によれば、私は「ゆうれい」や「がいこつ」や「ミイラ」といったものが大好きな子どもだったそうです。別に怪奇マニアだったわけではなく、人の形をしていながら人ではない、生命はないのだけれど想いを残している、そんな存在が好きだったような気がします。

三つ子の魂云々という言葉どおり、私の書く詩や小説のなかには、実は今でもそうした「人ではないモノ」、あるいは「かつて人だったモノ」がたくさん出てきます。
私はよく愛想がいいとか営業向きとか言われますが、実のところ生身の人間はちょっと苦手です。愛想がいいのはきっと、誰とも上手につきあっていかなければならない、誰にも厭な思いをさせたくないと、いつも気弱な気持でいるからなのだろうと思います。
おばけめいたモノに親しみを感じるのは、生身の人間が持っている「生きていくためのエネルギー」をそうしたモノが喪失しているからなのでしょう。

この詩に出てくる「ゆうれい」が誰なのか、何のために僕の枕辺に立っているのか、作者である僕自身にもわかりません。
むしろ「出てきたわけ」が明確でないからこそ、月明りに透ける「ゆうれい」の想いは、一層深く、透徹したものに純化されているような気がします。

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