●「赤い電車に乗って」その2
どんよりと曇って、今にも白いものが落ちてきそうな底冷えのする日でした。
厚手のジャンパーの上にヤッケを重ねて、健吾さんは山仕事をしていました。ストーブに使う薪を作る仕事です。最近、健吾さんの家では、息子さんが離れで喫茶店をはじめました。『薪ストーブのある喫茶店』が売り物のお店です。山小屋風の建物の中に薪ストーブが燃えている息子さんのお店は、都会からやってくるお客さんでけっこう繁盛しているのでした。健吾さんは、忙しい息子さんに頼まれて、自分の山から薪を採ってくるのです。
林道の脇には、軽トラックが置いてありました。鉄道が廃止になる何年か前、苦労して運転免許を取って買った軽トラックです。
しばらく前に切り倒しておいた木をチェーンソーで小さく切り、さらに鉈で細かく割っていきます。ストーブにくべることができる大きさに割った木材を束ねて、軽トラックの荷台に積んでいくのです。
昔は、山の手入れや山菜取りにも電車に乗って来たものでした。知り合いから譲り受けた健吾さんの山は、家から離れた場所にあるのです。今のように車もなく、林道もありませんでしたから、山に入るには、道具や機材を背負って細い山道を歩くしかなかったのです。
(あのころにくらべれば天国だ)
健吾さんは思いました。背中いっぱいに荷物を背負って山道を下り、電車に乗って家まで帰ることを思えば、軽トラックのありがたみはひとしおです。
(みんなが電車に乗らなくなるわけやな)
健吾さんは苦笑いをしました。
どれぐらい前からでしょうか。健吾さんの近所でも、だんだんと自動車を買う人が増えて、それと同時に道もきれいになり、好きなときに好きなところへ誰もが行けるようになったのです。いつも満員だった電車は、がら空きになり、本数もだんだんと減らされて、とうとう廃線が決まってしまったのでした。
黙々と仕事をしながら、健吾さんは今日のみんなの話を思い出していました。午前中は、まだ薄日が差していましたから、いつものようにお年寄りが駅に集まっていたのです。
『廃線の何年か前から、ウチでも電車にはほとんど乗らなくなったなあ』
『そりゃ、あんたのところは息子さんがいい車を持ってみえるで。ウチみたいに車に乗れない年寄り夫婦にとっちゃあ、電車がなくなってどえらい不便になったもんやよ』
『子供んたがかわいそうやなあ。電車があれば岐阜の高校にだって通えるのに、わしの孫は下宿しとるよ』
『そうや。電車がなくなっていちばん困っとるのは、わしら年寄りや子供んたやでなあ』
『バスと違って、大雪の日でも電車はとまらんかったでなあ』
駅に集まっているためか、どうしても話題は電車のことになります。何十年も昔から、通学に通勤に電車を使ってきた健吾さんたちにしてみれば、赤い小さな電車と小さな駅は、若いころの思い出がいっぱいにつまった宝箱みたいなものなのです。楽しかったこと、苦しかったこと、毎日さまざまな思いを胸に抱いて乗り降りした電車と駅からは、はるか遠くにかすんでしまった青春の匂いがただよってくるような気がするのでした。
(だからこそ、わしらは毎日のように駅に集まっとるんやな)
ふと、健吾さんの胸を、咲江さんの面影がかすめました。
(作どんの言うとおり、初恋、やったかもな)
誰も見ていないのをいいことに、一人でふふふ、と笑いました。
さあ、もうひと仕事、と思ったときでした。軍手をはめた手に、ひらりと白いものが舞い落ちました。
「ありゃあ、とうとう落ちてきたのう」
このあたりでは、ひと冬に何度か、けっこうな雪が降ります。揖斐谷の奥の方にくらべれば少ないのですが、一晩で五十センチ以上積もることも珍しくありません。そういえば、今夜から雪の予報が出ていました。
「まあ、今日のところは帰るかの」
健吾さんも雪のこわさは良く知っていましたから、早めに仕事を切り上げて帰ることにしました。
ちらほら舞い始めた雪は、すぐに本降りになりました。びっくりするぐらいの勢いで、景色を白く染めていきます。
風も出てきました。すぐ目の前もみえないぐらいの吹雪です。
道具を片づけ終えたときには、軽トラックも健吾さんも雪だるまのようにまっ白になっていました。
「いやあ、これは積もるぞ」
ひとり言をつぶやきながらハンドルを握って走り出します。
本当にひどい降りです。ワイパーが雪をぬぐうよりも早くフロントグラスに雪がこびりついて道路がぜんぜん見えません。
こういうときこそ慎重に。心に言い聞かせながらハンドルを操作します。
いくつものカーブを過ぎて、だいぶ山を下ってきたとき。
突然、山全体を震わせるような、ゴーッという音が響きました。猛烈な風が軽トラックを包みこみ、舞い上がった粉雪で何も見えなくなりました。
あっと思ったときには、健吾さんの軽トラックは路肩を踏み外していました。
ふわっと車体が傾いて・・・。
軽トラックは、そのまま雪の斜面をずりおちていったのです。
