●新緑の天文台で(後編)
T先生の第一声は「いやー、キミたち、バイクで来たの?若いねー」だった。
そう、象牙の塔であった天文台に、こともあろうに私たちはバイクを連ねて押しかけたのであった。
今でこそ天文台内の建物は改築され、近代的な外観となっているが、当時はどの建物も年月を経て黒ずみ、うっそうと茂った樹木に覆われて、よく言えばレトロチックな、悪く言えば魔術的な雰囲気を漂わせていた。
そんな建物の一室に私たちは誘われた。磨きこまれた古めかしい調度品と古色蒼然とした書籍に囲まれた小さな部屋だった。
T先生は私たちをソファに座らせると、自らは事務椅子に腰を下ろした。
「いやあ、ボクも若い頃はずいぶん流星を観測したもんだヨ」
ニコニコ笑って言う。黒縁眼鏡にライオンの如き蓬髪。
書棚から一冊の本を取り出す。
いきなり来た。小槇孝二郎著の「流星の研究」。山本一清先生が序文を書かれている幻の稀覯書である。
本をめくりながらT先生は、日本の流星観測史を語り出す。
肝心の理論にはなかなか進まない。
「その頃の日本は欧米の天文学を取り入れるのに必死でね。流星も先端分野だったんダ。こうして先達が身を削る苦労を重ねたからこそ、世界に誇れる現代日本天文学があるわけだナ」
延々と天文学史の講義が続いた後で、
「で、キミたちの研究なんだけどね」
ようやく本題に入ったときには、優に1時間は経過していただろう。
一隅にかけられた小さな黒板に図を示しながら、T先生は丁寧に私たちが問題にしている係数のおさらいをする。それに対して、私たちも黒板に図示しながら反駁する。
いや、理論的に反駁していたのは、正確に言えば計算課長のY氏だけだった。私を含めたあとの4人は、ちゃちゃを入れていただけだったかもしれない。
若いY氏の理論は精妙で攻撃的だった。T先生も何度か腕を組んで考えこんだ。
いつしか、小さな窓から差しこむ日ざしが薄くなりはじめていた。私たちの頭の中は流星一色に染まっていた。ふだんは使用していない脳の奥深い部分が懸命に働いているのがわかった。ひとつの理論を追いこむ知的快感に、いつのまにか私たちは酔っていた。
T先生の飾り気のない言葉が、心の奥底にしみこんでくる。正確で理論的で、それでいて文学的香味に溢れた言葉。
長い講義が終わったとき、5月の長い日は暮れかけていた。
「キミたちの言うことはよくわかった。すばらしい。感動したヨ」
先生は、ゆったりとした口調でそう言うと、立ち上がった。
「流星の研究」を丁寧に書棚に戻す。
「ボクはね、キミたちのような気鋭のアマチュアと話すのがすごく楽しいんだ。ボク自身も勉強になるしね」
ふたたび椅子にかけた先生は続ける。
「キミたちのようなアマチュアこそが21世紀のこの国の天文学を担うのだとボクは思っています。山本一清先生や小槇さんが創り上げた日本の流星天文学を、これからも受け継いで発展させて下さい。そのために係数をはじめ、観測方法の一層の研究が必要です。ただ、若い人は往々にして理論に溺れてしまいがちだ。学問とは日々、真の値に向かってデータを近似させていくことです。理論にかまけて観測を忘れないで下さい。観測をしながら正しい理論を探る努力を続けて下さい。キミたちには未来がある。どうか精進して下さい。今日は楽しかった。ありがとう」
部屋を出るとあたりは夕暮れだった。むせるような新緑の匂いだけが薄暗い天文台の構内を満たしている。
私たちの誰もが言葉少なだった。先生がなぜあれほど長い時間を先達の歴史に費やしたのか、今となってはわかりすぎて切ないほどだった。
『キミたちのいうことはよくわかる。補正係数については議論の余地がまだまだあるしどんどん研究してほしいと思う。ただ、正確を期すあまり、いたずらに悲観的な学説や理論をふりかざして、ただでさえ減少しつつある観測者を減らすだけの結果をもたらすことは
避けてほしいのだ。前向きに観測をして研究をして、明治以降、営々と観測を続けてきた先人の業績を引き継いでほしいのだ』
半日間の集中講義を通して先生が言いたかったことはこれだった。アマチュア出身だからこそ先生の言葉は私たちの心に沁みた。
バイクのエンジンをかけ、私たちは走り始めた。どこまで走っても新緑の匂いが追いかけてくる夕暮れだった。
写真:アインシュタイン塔
