一年中、青空と日ざしだけには事欠かないといわれてきた街だった。いつの頃からかはわからない。多分、海を見下ろす台地にあるこの街に、人が住みついた遥かな昔からそう言われてきたのだろう。
でも。
「ねえちゃん。雪だ」
弟のルツの声に、空を見あげる。
いつのまにか、黄土色の雲に覆われた空から、ちらちらと白いものが舞い降りてきていた。手をつないだルツの指に、ぎゅっと力が入る。私を見上げる不安げな目。
風が止まっていた。ついさっきまでこぼれていた日ざしはどこにもない。そのかわりに街を包みこむ、埃のように乾いた粉雪。
知らず知らず早足になる。手をつないだ小さなルツが、小走りでついてくる。市政庁から続く大通り。三千年も前からこの街のメインストリートだった石畳の道。
いつの頃からだろう。青空をほとんど見なくなったのは。ましてや、真夏のこの季節に雪が降るようになったのは。つい何年か前までは、海で泳ぐこともできたのに。
「動物園もね、今年いっぱいで終わりなんだって」
ルツが言う。
「寒くてみんな死んじゃったんだ。サエラがそう言ってた。サエラのお父さん、動物園の研究員だから」
ルツの目は、通りの並木を見つめている。あれほど見事だった青双樹の並木が、一本残らず枯れていた。どれも樹齢千年以上の木だ。

ルツに限らず、どんな小さな子でも知っている。この十年足らずの間に急激に進んだ寒冷化で、この星・・・メサイを緑に彩っていた植物のほとんどが枯れ、大半の動物が絶滅したことを。
しだいに密度を増してくる雪のカーテンを透かして、市政庁を振り返る。三千年間ずっとメサイの首都だったこの街を圧して聳える壮麗な市庁舎。
「私がルツぐらいの歳にはね、いつもこの通りいっぱいに人と車が溢れていたのよ。政庁には駅があってね、長いトレインが大勢の人を乗せてひっきりなしに発車していったわ」
「ねえちゃんも乗ったことあるんでしょ」
「うん。お出かけや学校の遠足で何度も」
ルツにとっては、暗記するほど聞かされた話のはずだった。それでもこうして相槌を打ってくれる。優しい子。
今、政庁通りに、私たち以外、人影は見えない。トレインの軌道も、今は取り払われてしまっている。人々のほとんどが、もっと暖かい街に去っていった。寒冷化が進み始めた当初には、人口の流出を躍起になって食い止めようとしていた市も、今では移住を奨励するようになっている。
「長靴、はいてきて良かったね」
わずかな間に降り積もった雪に、私とルツの足跡だけが続いていた。舞い落ちる雪は、私とルツを包みこみ、日ざしと緑の絶えることがなかったこの街を、無機の静けさで覆っていく。
雪。ほんの十年前まで、極地方以外、誰も見たことのなかった気象現象が、メサイを白い惑星に変えつつあった。
いつか、ルツも私も、ただ無言で歩いている。自分たちの足音すら聞こえない。すべての音を吸い取ってしまう白い沈黙。
「決まったわ。あなたたちの順番」
家に帰ると、お母さんが玄関で待っていた。
「青の月、十三周の晩よ」
良かったわね。お母さんの顔は、本当に嬉しそうだ。その分、私の心は沈んでいく。
「たった今、お父さんから連絡があったの。船は、クシタイプのⅢ型ですって。最新型だから、きっとテラまで無事に着けるって」
小高い丘の上にある私の家。窓の向こう、降りしきる雪にけぶって、長く裾野をひいたメサイ最大の火山、プサイ・クノーが見える。
私がルツぐらいの歳には、火と煙を絶えず吐いていた山頂を、今は白い雪が覆っている。
「プサイの火が消えたのが原因だって、お父さんは言ってたわ」
お母さんの言葉に、そうかもしれないと思う。有史以来、消えたことのなかったプサイの火が消えたのと時を同じくして、あちこちの山なみを彩っていた火山群のすべてが噴火を停止し、その頃から急激な寒冷化が始まったのだ。
太陽から遠いにもかかわらず、メサイが温暖な気候を保ってこられたのは、活発な火山活動によるのだと、だからこそ惑星最大の火山であるプサイ・クノーが、神の山として崇められてきたのだと、学校で習った。
『固まっちまったんだ。要するに。理由はわからない。でも、あらゆるデータは、この星の内部が急速に冷えつつあることを示している。どうしようもない。俺たちにできることは、できるだけ多くの人と生き物を生存可能な他の星に逃がしてやることだけだ』
肩をすくめながら言ったお父さんの言葉を思い出す。テラ調査隊の隊長を何度も務め、今は市の航宙局長をしている、がっしりと大きな背中。
『結局、テラとは縁が切れなかったな。でもいいさ。これからはずっとメサイで暮らすことができる』
移住計画を初めて聞かされたとき、笑いながらそう言うお父さんに私は食ってかかった。どうして私とルツだけなの。お父さんとお母さんが行かないのなら、私たちもメサイに残る、と。
何度も繰り返したやりとりだった。移民船に乗ることができるのは、二十歳以下の市民だけ。市民全員を移住させられる船を建造する資源も時間もすでにない・・・。
◇
珍しく晴れ渡った晩だった。クラスメートが乗った移民船が飛び立つのをどうしても見たいと言うルツと二人、凍てついた夜空を見上げている。
「ねえちゃん。あれがテラなの?」
ルツが指さす方向に、アレク神殿の宝玉よりも青い星が輝いていた。
「そうよ。あれがテラ。メサイの隣りの惑星・・・」
テラ。この太陽系で、メサイよりひとつ内側を回るあの惑星には、メサイよりずっと広く深い海が広がり、大森林が大地を埋めつくしているという。
「青の月になったら、僕たち、あそこに行くんだね」
ルツの言葉に涙がこぼれそうになる。こんな小さなルツと、十七歳になったばかりの私二人で移民船に乗る・・・。
「船だ」
午後いっぱい降り続いた雪がやんで、晴れ渡った夜空を切り裂くように、眩しい光のかたまりが駆け上がってゆく。
行き先はテラだった。
「ちゃんと着けるといいね」
ルツの小さな手を握る。
「だいじょうぶ。お父さんが指揮してるんだもの」
移民船がテラにたどりつく確率は三割。友だちが言っていた。
「あの船にね、サエラが乗ってるんだ」
しばらく黙りこんでいたルツが、小さく呟いた。
「そう、サエラが・・・」
ルツの目に小さく光るものを見つけた私は、慌てて夜空に視線をそらし、ことさらに明るい調子で話しかけた。
「テラってどんなところかな。雪が降らなければいいね」
ルツは黙っている。夜空の青さと冷たさが、いつか私とルツの間に侵入する。
テラにも雪は降るのだろうか。テラにも、プサイ・クノーみたいな火を吐く山があるんだろうか。
風が渡った。テラの輝きがいっそう冴える。移民船の噴射炎はもう見えない。
東の地平線に、アイナ・クが、神代の金貨のような鈍い輝きを放っている。テラには、メサイを回る二つの衛星、アイナ・ク、アイナ・カとは桁違いに大きな衛星がひとつ、回っているという。
テラにはどんな夜空が広がっているのだろう。メサイは何色に見えるのだろう。
冷たい大気がびりびりと震えた。雷に似た低い音が、凍てついた砂漠を渡ってくる。
今ほどの移民船の噴射音だった。もうすぐ、私とルツも乗る。お父さんとお母さんをメサイに残して・・・。
☆ ☆ ☆
「ねえちゃん。起きてよ。こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ」
揺り起こされて目を開けた。覗きこんでいる幼い顔。
「ルツ!」
思わず起き上がる。
「ルツ? 誰のこと?」
翔太・・・。
急速に記憶が戻ってくる。そうだ。ふたご座流星群を見ようと、弟の翔太と庭で寝袋にくるまっていた。
「寝ぼけてるの? もう曇っちゃったよ。ねえちゃんが寝てるうちに」
夜空を見上げる。先ほどまで晴れていた空は、ほとんどが黄土色の雲に覆われていた。いつのまにか眠ってしまっていたらしい。
それにしても。
記憶の全てがかすんでいる。
ルツと手をつないで歩く雪の政庁通り。長い裾野をひいたプサイ・クノー。雪晴れの夜空を照らす小さな金色のアイナ・ク。眩しいほど青いテラの輝き。夜空を駆け上る移民船の噴射炎。
何もかも夢だったの?
痛む頭を振ったとき、ふと、視野の端がオレンジに染まった。
「メサイ・・・」
無意識のうちに呟く。
そこだけ雲が切れて、ちょうど接近中の火星が、濃いオレンジ色の輝きを覗かせていた。
「火星、きれいだね」
翔太が言う。
黄土色の雲に、鮮やかな火星の輝きはすぐに消え、頬に冷たいものがひらりと触れた。
「ねえちゃん。雪だ」
風の凪いだ夜空から舞い落ちる乾いた粉雪。
見る間に密度を増してくる冷たさが、白いカーテンのように私と翔太を包んでいく・・・。
挿絵:松本星菜
久々に小説をUP。
何年か前にSF関係の公募に応募しましたが通りませんでした。
イラストは娘が描いてくれました。