文章にとって、タイトルというものは非常に重要である。いわば文章の顔ともいえる。
にもかかわらず、今、私は、この文章を書き出すにあたって、タイトルの選定にかなり苦労している。
決まらないのだ。どうにもすっきりしたタイトルが出てこない。
シュラフについて書こうと思う。それは決まっている。が、『私の愛○』というこの連載企画にそのまま当てはめた『私の愛シュラフ』では語呂が合わないし、かといって日本語で『私の愛袋』では意味不明であり、なにやらいかがわしい感もある。
ともあれ、考えていても始まらないので、とりあえず、書く。
私が使用している種々の天体観測用アイテムの中で、最も古くから使用し、かつ最も活躍しているのがシュラフ・・・寝袋だ。
意外な感を持たれる方もいるだろう。天体観測のアイテムといえば、やっぱり天体望遠鏡じゃないのか、と。
確かにそのとおりである。私も、過去に多くの天体望遠鏡を所有してきた。今も自宅には現役のもの、引退したものを含めて数台の望遠鏡が転がっている。
が、実のところ、天体望遠鏡は、私たち天文屋にとって本当に必須のアイテムなのだろうか、それなしでは天体の観測はできないのだろうかと考えれば、そうではない。星座の観望はもとより、流星観測にしても肉眼で十分である。かえって望遠鏡を使わないほうが広い視界が得られて星空を壇能できることも多い。
世の中は豊かになったが、その分、街あかりの影響も深刻だ。空の暗い場所に自前の天文台を作れるような一部のリッチマンは別として、多くのアマチュア天文家はあちこちに遠征してのジプシー観測を強いられる。
そんなとき頼りになるのは、天体望遠鏡よりもサバイバルグッズである。特に防寒は重要だ。
山奥に遠征した厳寒の夜、シュラフがなければどうなるか。
「車のヒーターをかけっぱなしにして寝ればいいじゃん」
そう考えた人は、今のご時勢、人間失格である。地球温暖化、排気ガス公害といった地球環境への負荷に思い至らない人間は、少なくとも「光害で星が見えなくなった」と嘆く資格はない。
「宿に泊まればいいじゃない」
そう考えた人。これも真の天文家とはいえぬ。宿に泊まる場合、門限を考えれば、観測できる時間はせいぜい午後9時までだ。気合の入った天文家は、夜明け近くまで観測し、寒さをこらえて寝なければならない。
野宿にしろテント泊にしろ、山で凍死せずに眠るために必要なアイテム。それがシュラフなのである。
望遠鏡がなくても観測はできるし生死にかかわることもない。これが、望遠鏡よりもシュラフを天体観測の必須アイテムとして取り上げた理由である。
シュラフの重要性をわかっていただけたことと思う。
私のシュラフは、一見すると何の変哲もない青い綿シュラだ。
(語句説明:綿シュラ→中綿に羽毛や先端化学繊維を使用していないごく普通の綿を使用した安価なシュラフ。当然のことながら、かさばる割に保温性は低い)
このシュラフを、私はこれまで10数年にわたって使用してきた。が、実はこのシュラフの歴史は更に遡ることができるのだ。
私に叔父がいる。山岸某なる立派な名を有しているが、仲間うちでは「冒険好きのおじさん」としてつとに高名な人物である。叔父はかつて日本全国を歩き回り、山に眠り、波の音を枕としてきたが、この叔父が、若き日、愛用していたのが、現在、私の使用しているシュラフなのである。このシュラフは、若き日の叔父の夢と旅の記憶をそのままに語り伝えているともいえるのだ。
叔父からシュラフを譲り受けて10数年、私も旅をした。波のしぶく孤島で、ローカル線のホームのベンチで、時には高山の強風雪の中で、このシュラフは私とともに星空を見上げてきたのである。若き日の叔父も、このシュラフにくるまって、一人、星空を見上げたこともあっただろう。
叔父、私と二代に渡って酷使されてきたシュラフは、幾多の星霜を経て、決してきれいとは言い難い状態だ。あちこちがほころび、綿はつぶれ、寝心地も快適とは言えぬ。
それでも、このシュラフにくるまり星空の下に横たわれば、何かしら安心するような心地がする。羽毛やゴアテックスの温かさにはほど遠いが、心の奥がほかほかするような気持ちになる。苦楽を共にしてきたシュラフに、もっとたくさんの星空を見せてあげたい、そんなことを考えながら眠りにつくこともしばしばだ。
叔父から譲り受けたシュラフは、まさに天体観測における私の愛○グッズなのである。
ここまで書いてきて、ようやくタイトルが決まった。
どうだろうか。え? ちょっとカッコ良すぎるって?
いいではないか。縁の下の力持ちであるシュラフにも、たまには光を当ててあげよう。
東大和天文同好会会誌「ほしぞら」NO.105(1989年2月発行)掲載分を加筆訂正