私たち天文ファンにとって「人工照明」というものは憎んでも憎みきれない仇敵のようなものです。明かりに追われて山奥へ山奥へと逃げてゆく天文ファンの姿は、我ながら悲しいですよね。
ところが最近、ふとしたことから「心安らぐ人工の明かり」を見る経験があり、少しく人工照明に対する認識を新たにすることができました。
私の住んでいる岐阜県藤橋村は、美しい星空に恵まれていることで有名です。これは、周囲を山に囲まれ、かつ人口が大変に少ないためなのですが、反面、四方どちらを向いても山ばかり、広い視界が得られないという欠点も併せ持っています。
そのため、田舎に住んでいながら、観測する天体の高度が低い場合には、低空が見える場所へジプシー観測をすることになるのですが、南西の低空を見る際には、藤橋村と坂内村の村境にある寒川峠という場所に出かけます。藤橋村の中心部である横山地区にある夕日谷キャンプ場をかたわらに見て、さらに林道を上ったこの場所は、さほど広くはないものの、直接目に入る人工の明かりは皆無という恵まれた環境です。
昨年の冬のはじめ、シュワスマン・ワハマン第3彗星を見るために、15㎝双眼鏡を車に積んで、私はこの峠に出かけました。シュワスマン・ワハマン第3彗星はちょうど大バーストを起こしており、予報光度よりもはるかに明るい6等級、ダストの尾を流した雄大な姿を見ることができ、大満足した私は、同彗星が西空に沈んだ後も双眼鏡で西の空を彩る夏から秋の星座を探索していたのです。
ふと気づいたときには、かなりの時間が過ぎていました。空は相変わらず透明そのもの、秋の天の川が雲のように頭上を流れ、そろそろ虫の声も聞こえなくなった山中は静寂そのものです。
月の出が迫ってきたため、私は双眼鏡を片づけ、その日の観測を終えました。
真っ暗な峠道を、慎重にハンドルを握りながら下ってゆきます。ヘッドライトに映し出されるのは、荒れた路面と葉を落とし始めた木々の影だけ、そんな山道をかなりのスピードで下っていた私は、ふと、前方に星の光を見た気がしていぶかしく思いました。もちろん、頭上には満天の星空が広がっているはずですが、ヘッドライトに幻惑されて星の姿は見えるはずもありません。
おかしいな、と思った次の瞬間、たしかにフロントガラスの向こうにきらめく一群れの星を見つけ、私は車を停めました。
車から降り、地平線からわずかに下方を見た私は、思わず息をのみました。
それは、まさに星でした。輝星・微星が入り混じって、ちょうど低倍率で見る散開星団さながらに、きらめく星の群れが静かに明滅しているのです。角度で言えば、ほんの2~3度の範囲、散開星団というたとえが適切でなければ、漆黒のビロードの上に銀砂をひとつかみ、そっと撒いたような、控えめですが幻想的な星の輝きです。
私は空を見上げました。木立の間から覗くまばゆいまでの秋の星々、そして私の足もと、初冬の闇に沈んだ下界にきらめく銀砂さながらのもうひとつの星の群れ。
それは遙かに望む、藤橋村の明かりなのでした。
藤橋村は人口わずかに450人、揖斐川が刻んだV字谷の僅かな平地に人々が寄り添うように暮らしています。その周囲は完全な無人地帯であるために、高所から見ると、ささやかな集落に灯る明かりの群れが、ちょうど散開星団のようにごく狭い範囲に寄り集まって見えているのでした。
目の敵扱いの人工照明ですが、このときばかりは頭上を彩る秋の星々と眼下に瞬く藤橋村の遠い街明かりの双方を、とても優しい想いで見つめることができました。
初冬の峠道で見つけた「地上の星明かり」の話はこれだけです。
私はふたたび車のハンドルを握り、人の暮らしの中へと戻っていったのでした。
Star Light Party通信 Vol.8(1995年)掲載加筆訂正
写真:ペルセウス座(55mm F2.8レンズにて)