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2006年08月30日

●随筆「幽霊・・・少年期の黄昏に」

 北杜夫の処女作、「幽霊」を初めて読んだのは、中学一年生の秋だった。いわゆる「どくとるマンボウ」シリーズには以前から親しんでいたものの、「幽霊」については、その怪談めいたタイトル、そして難解そうな文章に尻込みしてしまい、なかなか手が出なかったのである。思いきって文庫版のそれを購入し、一読してみても、その印象はあまり変わらなかった。というより、より困惑の度を深めさせられたともいえる。

 小説というものは、いわゆる「物語」であり、明確な起承転結のある読み物なのだと、中学一年生の私は思っていた。ところが、この小説に物語的なストーリーはほとんどない。起承転結の基本である時間軸すら曖昧であり、冒頭からして茫漠とした回想シーンから始まる。時間軸だけではない。場面にしても二転三転し、ソフトフォーカスの写真のように曖昧模糊とした語りが続く。戦前から戦後の混乱期、家を去っていった美しく謎めいた母への思慕をベースにして、淡い恋や自然への憧憬を絡めながら、作者の精神が成熟してゆく過程を描いた自伝的小説であることは理解できるものの、淡色の水彩画を何枚も重ねてゆくような描写手法は、小説イコール物語と考えていたその頃の私にとって、およそ小説と呼ぶには値しないものであるように思われた。

 こうして書棚に並べたまま忘れていた「幽霊」をもう一度手に取ったのは、それから一年ほども過ぎた頃だった。家庭も学校も何もかもが面白くなく、それでいて毎日を無為に過ごしている自分が嫌でたまらなかった時期である。そんな鬱々とした精神状態が、書棚に並んだたくさんの本のうちからこの怪しげなタイトルに手を伸ばさせたのかもしれなかった。自分の拠って立つ時間も空間も定まらないようなその頃の毎日に、何かしら拠り所を求めたいという気持ちで、私は一年ぶりに「幽霊」の活字を追い始めたのである。

・・・気づいてみると、辺りは夕方だった。ほの暗い部屋の中が奇妙にぼやけて見える。私は、自分が泣いていることを知った。同時に、心の内面が驚くほど澄み切っていることに気づき、はっとする。「幽霊」の小説世界は、透明な黄昏の光に照らし出された心の風景の完全な一部となっていた。私の内部でいつ知らず形づくられつつあった自然への憧憬、異性への思慕、そして、時として自分を支配する理由のない怒りや閉塞感、そうしたものがこの小説を読み進む数時間のうちに見事に整理され、秋の夕暮れに似た静謐感を漂わせながら、心の書棚に収められていたのである。

 静かに部屋を充たしてゆくうす闇のなかで、読んだばかりの小説の一節を私は呟いていた。
『僕は自然から生まれてきた人間だ。僕は決して自然を忘れてはいけない人間なのだ』
 この言葉を、私は今でも時折、呟くことがある。私にとって「幽霊」の印象は、それほどまでに深い。

(平成15年度 岐阜県読書感想文コンクール奨励賞)

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