« きらめく水面を見つめて | メイン | 満月の宿直 »

2006年08月10日

●夜の散歩

夜の散歩が好きです。一人で、家族で、気ままに近所を歩きます。
運動不足解消はもちろん、晴れた晩には季節の星空を楽しむことができるという一石二鳥の散歩です。

家族で歩けば、星座を探しながらさまざまな話ができますし、一人であれば、季節の夜気に身を浸し、時に星を見上げ、時にカエルの声に耳を澄ませ、自らの心と、昼間はできない会話をすることができます。

自己との対話。
内省、と言い換えてもいいでしょう。
これこそ、忙しい現代にあって、もっとも必要とされているものだと思います。
さまざまな情報が氾濫し、家庭に戻ってもテレビが声高なおしゃべりを続け、ゲームやネットの仮想世界が子どもの心を容赦なく浸食する時代にあって、夜の風に吹かれながら遙かな時空をわたってきた星の光に身を委ね、静寂のさなかで自らの心の奥底を見つめることの大切さ。
あやふやな情報やプロパガンダに迎合することなく、いたずらに他人と群れることなく、心静かに自らの道を歩くこと。
ちょっと大げさですが、私にとって夜の散歩は、自らの心を覗くとても大切な時間なのです。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://at-h.net/~has/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/67

コメント

松本さん、初めてこちらに失礼します。
夜の散歩、僕も時々します。
こちらは、何かと行き詰まった時にします。
不思議と1時間もすれば、気分は落ち着き、体も疲れ、就寝することができます。

かの鈴木健二も、彼の著書で、この散歩というか、氏の言葉でいう「逍遥」といったものは昔の旧制高校の学生はよく行っており、孤独をかみ締める行為?としてを推奨していました・・・。

じっちゃん、今晩はです。
そう、逍遥という言い方もできますね。あてもなく歩きながら、精神の彷徨をも兼ねる思索の道行き。
旧制高校って憧れますね。朴歯の下駄に長髪、黒マント。自他ともに孤独な知のエリートを任じ、少なくとも現代のようにただ情報に流されて群れ騒いでいるだけの若者とは明らかに異なる存在。
そういう意味でのエリートって、今は本当にいませんね。誰も彼も自分に優しいナルシスト。
正しい認識は、自己否定と内省から始まるものだと私は思うのですが・・・。

こんばんは、
そのような、自分と向き合う時間は
今の人たちには不足しているように
思います。
一人、アイピースの中の天体を静かな
静寂の中、見つめることで、自分と
向き合っているように感じます

生川さん、そうですね。アイピースの中に浮かぶはるか彼方の天体の姿を見ていると、心がしんと静まるのを感じますね。
私は、フジノンの15cm双眼鏡を使っていますが、双眼で見る広視野の宇宙遊泳は、澄んだ水の中でゆったりと泳いでいるような感覚にさせられます。
自分に還るひとときです。

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)