●童話「きんもくせいとすじぐも」
よく晴れた十月の午後、とんぼが、きんもくせいに聞きました。
「きんもくせいさん。どうしていつも、そんなに遠くを見ているのですか。もっと近いところにも、きれいなものはたくさんあるのに」
透き通った風がさわさわと通り過ぎ、あたり一面に、きんもくせいの香りを運びます。
きんもくせいは、ちらりととんぼを見ましたが、何も答えてはくれませんでした。ただ黙って、遠い空の向こうを見つめています。
とんぼは、空を見上げました。真っ青な空のずっと高いところに、絹糸をたばねたようなすじ雲が浮かんでいます。
とんぼは、空高く飛んでゆきました。高く上がるにつれて、空の青さはいっそう濃くなってゆくようです。やっとすじ雲のところへたどりついたとんぼは、下を見て少しこわくなりました。森も川も、作り物のように小さく見えます。遠くにきらきら光って見えるのは、お話で聞いたことのある海でしょうか。
とんぼは、すじ雲に聞きました。
「すじ雲さん。どうしていつも、こんな高いところにいるのですか。地面の近くにも、すてきな場所はたくさんあるのに」
静かな目でとんぼを見たすじ雲は、何も答えてはくれませんでした。ただ、空のもっと高いところを見つめています。
とんぼは、地面へとおりてゆきました。ちょっとおなかがすいていました。秋のお日さまはもうずいぶんと傾いて、もうすぐ夕ご飯の時間だな、そうとんぼは思いました。
夕ご飯のしたくをしている奥さんに、とんぼは、きんもくせいとすじ雲のことを話しました。
「二人とも、何も答えてくれないんだ。同じ目をして、ずっと遠くだけを見つめているんだよ。何かに憧れるように、何かを待っているように」
「そうですか。あの人たちは、秋の一日がどんなに美しいか、きっと知らないのですわ。たくさん木の実がなって、お日さまだってこんなに暖かく照らしてくれて、夜になれば虫たちがきれいな歌を聴かせてくれるというのに」
奥さんの話を聞きながら、とんぼは夕焼けの空を見ていました。きんもくせいとすじ雲は、何に憧れているんだろう。何を待っているんだろう。
ふと、夕焼け雲のむこうで何かが光りました。とんぼは、目をこらして暮れてゆく空を見つめました。ずっとずっと遠くで、きらきら金色に光っているもの。
一番星でした。とんぼが見ている間にも、星の数はどんどん増えてゆき・・・。
夕ご飯もそこそこに、とんぼは空に舞い上がりました。燃えるような夕焼け空に、一番星がびっくりするぐらい明るく光っています。
きんもくせいは、金色に光るまなざしで、そんな一番星を見つめていました。
(あれは金星です。ずっと昔、私はあの金星から生まれたのです)
とんぼは、すじ雲のところへ行ってみました。
(お星さまにもっともっと近づきたくて、私はこんな高いところにいるのです。私はずっと昔、天の川の切れはしだったのですから)
きんもくせいとすじ雲が憧れ、待ち続けていたものがなんだったのか、とんぼは、やっとわかりました。
星の数は見る間に増えて、やがて銀の砂をまいたように空一面をおおいました。夜空を飛びながら、とんぼはふと、こんな星空をどこまでも飛び続けたい、星の世界に吸いこまれてしまいたい、そんなことを思いました。
でも、すぐに思い直すと、星の光を羽いっぱいに受けながら、とんぼは奥さんのところへ帰ってゆきました。
とんぼにはわかっていたのです。星の世界が、やっぱり自分とは、とても遠い場所だということを。
