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2006年05月09日

●すばる

私の名前は、すばる。
さとるくんといっしょに星を見るのが好き。
ある日、さとるくんが急に遠くへ行くことになってしまい・・・。

星の名前がついた猫の、小さな冒険の物語。

夜の風は、いい匂いがした。お魚の匂いとも違うし、キャットフードの匂いとも違う、なんとなくうきうきしてくるような匂い。
「すばる。あんまり遠くに行っちゃだめだよ。迷子になっちゃうからね」
さとるくんの声に、にゃーお。わかってる。私は答える。 
さとるくんが覗きこんでいる白くて長いもの。てんたいぼうえんきょう、って言うんですって。お昼寝にちょうどよさそうだから、こっそり潜りこんでみようと思ったけど、先っぽにガラスがはまってて、中には入れない。
すばる。さとるくんがつけてくれた私の名前。おうし座にあるきれいな星だって、さとるくんが教えてくれた。
さとるくんは、星を見るのが好き。私も夜のお散歩が好き。私たち、すごく気が合う。
今夜も、てんたいぼうえんきょうで星を見ているさとるくんの横で、私は丸まったり、草の匂いを嗅いだりして過ごしている。
「すばるも何か見てみる?」
抱き上げられた私は、さとるくんがいつもしているみたいに、てんたいぼうえんきょうを覗きこむ。赤くて小さい玉が揺れている。
「火星だよ。すばるはすごいなあ。ちゃんと望遠鏡が覗けるんだから」
私を抱いたまま、ほおずりをしてくれる。
「そうだ。今夜は、すばるに星座を教えてあげる。たくさんの星を結んで、いろんな形を作るんだよ」
折りたたみ椅子に座ったさとるくんの膝に座る。
「頭の真上に、ちょっと明るい星が、大きな四角を作ってるだろ。あれがぺガスス座。羽が生えた馬の星座だよ」
さとるくんが指さす夜空には、たしかに四つの星があった。あれが馬の星座かあ。あんまり馬には見えないけど。
「で、南の空に、暗い星が三つ見えるのが、やぎ座。その東側に明るい星が光ってるだろ。あれは、みなみのうお座のフォーマルハウト。そのとなりには、くじら座があるんだよ」
さとるくんが教えてくれる星座を一生懸命に探してみる。馬の星座。やぎの星座。魚の星座(これはちょっとおいしそう)。ほかにもいろんな星座があるってことだけはわかったけど。
にゃあ。
さとるくんが、口をつぐんだ。
「ああ、ごめんごめん。すばるにはやっぱり難しいよね。いい子で聞いてくれるから、つい力が入っちゃったよ」
ふと、思いついた。猫の星座はないの? 
うーん。さとるくんがうなる。
「残念だけど、猫の星座はないんだ。やまねこ座っていうのはあるけど、山猫と普通の猫は違うしなあ」
すまなそうに言うさとるくんのほっぺを、なめてあげた。いいの。ちょっと聞いてみたかっただけ。猫の星座よりも、こうしてさとるくんと星を見ている時間が私は好き。夜は更けていく。静かでやさしい秋の夜・・・。

    ☆

夜遅く電話が鳴ったのは、木枯らしがぴゅーぴゅー吹く寒い日のことだった。
「そうか。お袋も年だからなあ。明日いちばんでこちらを発つよ。さとるも休ませるよ。じゃあ」
落ち着いた声で、パパが話している。
さとるくんが、私を抱き上げた。
「おばあちゃんが入院したんだ。お見舞いに行かなきゃならない。あさってには戻れると
うから、いい子でお留守番してるんだよ。家から出ちゃだめだよ」
何のことだかわからない。おばあちゃんってだれ? おるすばんってなに?
 
目が覚めると、誰もいなかった。にゃあお。さとるくんを呼んでみる。そうか。学校に行ったんだ。じゃあ、ママは? お買い物かな。
ごはんは山盛りだった。食べ終わると、また眠くなった。陽だまりで丸くなって眠った。猫の星座の夢を見た。
目が覚めたら、もう夜だった。家の中は真っ暗だ。柱でがりがり爪を研いだ。台所の床におしっこをした。でも、いたずらをすると、すぐに飛んでくるはずのママが、いつまで待っても来ない。
 窓辺で丸くなった。みんな、どこに行っちゃったの。さびしいよ。帰ってきてよ。
 窓の外、青い大きな星が、きらきらと光っている。そうか。さとるくんは、星を見てるんだ。外に行けば、さとるくんに会えるはず。あちこち引っかいていたら、台所の窓がガラッと開いた。庭に飛び降りて、さとるくんを探してみる。おかしいな。どこにもいない。
 南の空に、さっきの青い大きな星が光っていた。何歩か近寄ってみる。あれ? 近づかないなあ。匂いを嗅いでみる。姿勢を低くして、一気に飛びかかる。つかまらない。近づいた分だけ遠くに逃げる。
 だんだんおもしろくなった。どんどん追いかけた。走っても走っても追いつけない。
 夢中で追いかけるうち、星の光がすっと消えた。あーあ。逃げられちゃった。ため息をついて空を見上げると、あれ。青い大きな星だけじゃなく、あんなにいっぱい光っていた星がひとつもない。重たそうな雲が、夜空をびっしり覆っている。
 ああ、つまんない。おなかもすいたし、もう帰ろう。
 振り返って、どきっとした。知らない景色。知らない匂い。
 にゃお。思わず、さとるくんを呼んだ。でも、何度、呼んでも、さとるくんの優しい声は聞こえない。
 急にこわくなった。おうちのありそうな方にどんどん歩く。でも、いくら歩いても、知らない景色ばかり。
 犬に追いかけられた。車にひかれそうになった。歩き疲れて、自動販売機の下にもぐりこんで眠った。
 目が覚めると、雨が降っていた。雨は何日も続いた。寒くて、おなかがすいて、だんだん体が動かなくなった。さとるくん。もう会えないのかな。どこ行っちゃったの。眠くて目が開けられない。もう一度、さとるくんといっしょに星が見たいよ。暖かい膝の上で、もっといっぱい星座を教えてほしかったよ。

 そうして何日が過ぎたのだろう。足に力が入らなくて立ち上がれない。すごく眠くて夢ばかり見ている。
・・・いくつもの青い光が揺れていた。また夢かな。知らず知らずのうちに私は、青い光を結んでいる。
 光を結んでできたかたち。耳もあるし、短いしっぽもついている。なーんだ。猫の星座、ちゃんとあるじゃない。さとるくんのうそつき。
 笑い声がきこえる。見上げる猫の星座には、たくさんの猫が笑ったりじゃれあったりしながら私を見おろしていた。楽しそうだな。私も仲間に入れてもらえるのかな。
 ふらつく足で何歩か歩いた。歩くたび、猫の星座は近づいた。きらきら輝く星の間で、おいでおいでをしている猫たち。もう、おなかがすいていることも、目が開けられないほど眠いことも感じない。ふわふわ軽くなった体で、じゃれあう猫たちの輪に飛びこもうとしたとき。
『すばる』
 暖かい声がきこえた。猫の星座にぽちんと現れた小さな星が、ぐんぐん明るくなる。
「おかあさん!」
 思わず叫んでいた。ふうわりと私の前に舞い降りた真っ白な猫。顔も覚えていないけれど、それはたしかにおかあさんだった。
『ここへ来てはいけません。あなたが帰る場所はここではないのですよ』
 耳の奥で、柔らかい声が響いた。泥と雨に汚れた体中をなめてくれる。この感じ。さとるくんに撫でられているときとおんなじ。
『すばる。さあ、あなたの生きる場所へ帰るのです』
 ほほえんだおかあさんの姿が、すうっと遠くなる。冷え切っていた体が少しずつ暖かくなって・・・。

    ☆  ☆

 すばる、すばる・・・。
 どこか遠くで私を呼ぶ声がする。
 おかあさん? やっぱり迎えにきてくれたの? 
 ううん。同じように優しくて暖かいけれど、もっと大きくて懐かしいその手。
 にゃお。その手に顔をこすりつける。
 それは・・・さとるくんだった。
「よかった。すごく探したんだぞ」
 ぎゅっと抱きしめられた。ごろごろ。自然に喉が鳴る。これも夢かな。夢でもいいよ。おかあさんとさとるくん、ふたりに会えたんだもの。そうだ。夢が覚めないうちにお話しておかなきゃ。
 さとるくん、あのね。猫の星座、あったんだよ。そこにはおかあさんもいたの。それでね。  
「話はあとでゆっくり聞くよ。とにかく帰ろう。一人にしてごめんね」
 優しい声でさとるくんがそう言い、私は毛布にくるまれた。
 パパの車に乗るとすぐ、柔らかな眠りが私を包んだ。夢の中で、おかあさんがにっこりと笑っていた。

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