« すばる | メイン | これが山体崩落現場! »

2006年05月12日

●ふたつのふるさと

このところ、諸々の用事があって、月に一度ペースで帰省しているのですが、東京へ帰るたび、不思議な感覚にとらわれます。
私が岐阜へ移住したのが平成4年ですから、すでに14年間、通勤ラッシュや高層ビルとは縁のない田舎生活をしているにもかかわらず、新幹線が東京駅へ到着し、ひとたび中央線や山手線の乗客になってしまうと、まるで毎日そうして通勤電車に揉まれていたかのように、まったく違和感なく吊り革を握り、片手で文庫本を開いていたりする自分に気がつくのです。
流れる窓外の景色・・・新宿の高層ビル群やお堀端で釣り糸を垂れる釣り人の姿・・・も、やはり毎日眺めている風景そのものに感じられます。
都心の駅で降り、人々が行き交う繁華街を歩くときも同じです。つい数時間前までは、行き交う人もなく、ただ緑の風景が広がる田舎をのんびりと歩いていた私の足は、ごく自然に、かつて電機メーカーの営業として都心を歩き回っていたころの早足に戻っています。

移住して14年も経っているのだから、また、それなりに東京の景観も変化しているのだから、何らかの違和感なり疎外感なりを味わって然るべきと思うのですが、中央線や山手線に乗ったとたん、体も心も瞬時にして「東京モード」へ切り替わってしまうことが実に不思議に思います。なおかつ、そうした「東京モード」が、実に心地よく感じられるのです。満天の星空や山の緑、せせらぎの音を身近に感じられる田舎暮らしが大好きであるにもかかわらず・・・。

もしかするとそれは、地方で生まれ東京で仕事をしている人が、たまさかに故郷へ帰ったときに感じる開放感なり昂揚感なりとと同質のものなのかもしれません。
私にとっては、やはり東京が厳然たる「ふるさと」であり、田舎が好きでそれなりに現在の暮らしに馴染んでいるようでも、実のところ私の本質は、生まれ育った東京から決して脱却できないのかもしれない。そんなことを思います。

とはいえ、ふたたび新幹線に乗り、鉄橋から長良川や揖斐川の流れを見おろすと、「ああ、家に帰ってきた」とも思います。
どうやら私には、いつのまにか「ふるさと」がふたつ、できたようです。東京と岐阜、風景も文化も言葉も全く異なっているにもかかわらず、どちらも安らぎを与えてくれる場所。

田舎暮らしにはさまざまな不便やデメリットもありますが、その一方で、ふたつも「ふるさと」があるなんて、本当に贅沢でありがたいことだとも思います。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://at-h.net/~has/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/16

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)